2017年5月7日日曜日

アナと雪の女王

僕は結婚している。生涯の伴侶として愛を誓い合った女性がいて、彼女とは夫婦関係を六年やっている。でもうち2年は別居していました。詳細は省くけど、要するに僕は結婚生活でつまずいてきた方だ。子供は二人います。五歳の娘と生後半年の息子。彼らの愛くるしい笑顔と元気なドタバタで我が家はいつも賑わっている。子供たちの健やかな成長は喜ばしいし、目の前の明るく楽しい家庭の景色にはとても満足していて、ささやかな幸せを感じる今日です。


さて愛とはなんでしょう。あらためて、人を愛するってどういうことなのか。恋愛して、結婚して、家庭を持って6年が経って、齢33歳になる自分は、そろそろ愛の何たるかが分かってもいいおっさんかもしれない。たとえば今日、僕が妻や子を愛するということ。たとえば今、あなたが大好きな彼を愛するということ。その愛する気持ちに本物か嘘かを言うのは難しいのだけれど、人生の岐路に立たされるような瀬戸際では、それは自分への重要な問いになりうるのだ。



アナ雪のテーマは真実の愛。

アナの心に刺さったエルサの魔法を解くものは真実の愛だけ。それをトロールから聞いたアナは恋仲のハンスのもとへ向かう。しかし実はハンスは悪い奴で、アレンデール王国を乗っ取るつもりで近づいたにすぎず全くアナを愛してはいなかった。ビビビっと恋に落ち、結婚を誓いあい、信頼して国営の代理まで任せていたのに、彼の本意はエルサもアナも殺して国を混乱から救った英雄になることだった。

偽りの愛だと知って愕然とするアナにオラフが助言する。「愛っていうのは、自分のことより相手を大切に思うことだよ。クリストフがアナをハンスに託したようにさ」それを聞いたアナは、エルサと国を救うための苦難を共にし、ずっとそばで自分を助けてくれていたクリストフのもとへ向かう。

この流れのまま、本当に愛してくれる人とのキスで氷の魔法が解けて、運命の人が王子様じゃないのがちょっと意外でイイ感じで、想い合う二人が結ばれてよかったね、チャンチャン。っていうのが、ディズニー映画に慣れ親しんだ視聴者の想定しちゃうところなんだけれど、物語は良い意味で裏切ってくれた。

魔法を解くのはクリストフではなくアナ自身だった。しかも、クリストフに駆け寄って愛されようとするアナではなく、ハンスの剣からエルサを捨て身で守ろうとするアナだ。命がけで大切にされるのではなく、命がけで大切にすることのなかに、真実の愛がある。異性とのロマンスをあえて脇に置くことで、予定調和の斜め上を見せ、かつ、真実の愛について少し深く考えさせてくれる。

アナの愛はエルサの凍った心を溶かした。エルサもまた愛を理解し、怖れは消え、魔法の力をコントロールできるようになり、国は暖かさを取り戻す。エルサはアナを自分より大切に思ってはいたが、それも真実の愛ではなかったのだ。彼女の愛は、怖れのほうが勝っていたから。

王女姉妹は同時に愛を理解した、お互いの存在によって。という物語です。ありのままでいいのよー、家族や社会的責任から逃げて世を捨てても自分に正直がいいのよー、では終わりません。エルサは偽らなくなったがゆえの孤独と解放を経て、自立し、人を愛する意志と人から愛される喜びに還ります。

アナ雪、なかなか面白かったよ。

2017年4月9日日曜日

【家庭教師インタビュー】第一志望の高校に受かった男の子の回答

合格おめでとう。よくやったね。こんなに喜んだのは息子が誕生したとき以来です。お母さんからLINEで「合格しました!」って報告をもらったときは嬉しくて、職場の休憩室でガッツポーズしました。本当によかったね。

家庭教師として教えたのは中二の五月からです。僕らは19カ月のあいだ一緒に勉強したことになります。受験を終えて、君の勉強生活を今一度ふり返って質問させてください。



 一、合格者の掲示板で自分の受験番号を見つけた。そのときの気持ちを教えてください。


合格発表は思ったよりずっと小さな掲示板だった。テレビの画面二つ分くらいしかなくて。○○番あたりの自分の番号を探そうと気構えていたのに、発表されてすぐに見つけちゃって「え?」みたいな感じでした。

 

二、その日は家族とどんな話をしましたか?


よっしゃあ受かった!って帰ってお母さんに報告しました。受かってよかったねとか、私立高校じゃなくてよかったねとか、そんな話をしたあとはギャーギャー騒いでました。


三、最後の一カ月で学力が大きく伸びたよね。V模試の過去問集をやりまくっている姿を見て意欲と集中力がグンと高まっているなと感じていました。大好きなスマホゲームのクラロワも「入試が終わるまでは絶対にやりません」と自主的に封印したし、「面接の練習をやってくれませんか」と学習指導後に頼んできたこともあった。いよいよ受験まであと少し、そうなってからの頑張りには合格への確かな意志が見て取れました

本気だったね。勉強に対する●●君の本気を初めて見ました。

この時期、どんな考え方をもってどう勉強していたのですか?

 

「ここまで来たなら受かりたい!」って思いました。残り一カ月になってからの勉強はやばかったですね。あの集中力は、絶対に一年はもたない。受験前じゃないと無理。それと「早くゲームしたい」とばかり思っていました。だからなんとか前期試験で受かりたい、後期試験まで終われないのは嫌だなって。

勉強はというと、直前だし丸暗記をがんばろうと思った。あるじゃないですか、五教科ポイント集。あれをそのまま暗記しようとしたけどぜんぜん覚えられなくて、この方法はダメだなって。そこで、先生からもらったV模試の過去問集を解いてみる、そして答えをみる、というのを繰り返しました。するとだんだんわかるようになってきて。

僕のやり方は、一問やったらすぐに答えと解説を見ることも多いです。分からないまま進むと、あってるのか間違ってるのかが気になっちゃうんですよね。答え合わせを後でまとめてやると、その時その問題で自分がどうして迷ったのかを忘れちゃうから、次の問題をやるよりも忘れないうちに答えを見ちゃいたい。なんていうかな、「おれがちょっとわからないなと感じてる部分」をわかっている状態で解説を見ると、印象に残って覚えられるんです。

やらなかったものと言えば、国語の文法。途中でやめちゃいました。クソつまらなくて。文法なんておれ要らねーわって思っちゃってるし。こんな気持ちでやるくらいなら他の勉強をしたほうがいいと思いました。

英語も嫌でしたね。何をやっても伸びないし、単語を覚えてもすぐ忘れる。やっぱ忘れるってことは、基本的にどうでもいいと思っちゃってるんですよね。自分に必要ないっていうか、必要を実感できてないというか。

英語や国語の文法の勉強をイヤイヤやっても、これ絶対に本番前には忘れちゃうなって思いました。だから先生との勉強時間だけです。英語...まぁ高校に入ってからちゃんとやります。

 


とにかく、公立高校の過去問とV模試の過去問を解きまくる、その答えを見る、ということの繰り返しです。たくさん解いて、答えを見て、なんで分からなかったのか理解しようとして、ポイント集を見て、暗記する。 

そういうことをやっていくうちに面白くなってくるんですよ。例えば歴史は、出来事や人の名前は知ってるけど年代はもやもやしてわからない、みたいな感じで知識がバラバラだった。そのバラバラが頭のなかで整理されてくる。面白くて、短い期間でも集中できたから結構できるようになりましたね。ふりかえると直前の一カ月の勉強はほとんど社会です。最も伸びしろがあったからです。

他の教科はというと、国語は、今以上の点数を望んでも努力というよりセンスで決まっちゃうなとそれに手元の国語の過去問は解き終わっちゃってたから勉強しにくい。

数学は、一番やってきて一番得意な科目だけど、これ以上勉強するのは正答率5%の難問を解けるようにする努力。そこまではしなくていいかなって。難しい問題も優しい問題も同じ5点だから、数学をこれ以上あげるのは難しいって思った。

理科はもともと好きだし興味ある内容が多いから、ある程度はわかるんです。でもわかっているつもりでテストやってみると、理解がちょこちょこ抜けている。正直わからないところがわからない状態です。そのあたりまでカバーして全部やろうと思うと時間がかかり過ぎちゃうなって。平均点は超えられるから、理科の勉強はもういいかなと。

一番苦手な英語は、すぐ忘れちゃうし、わからなすぎて間に合わないし、くそつまんないからもういいかなと。

社会は、模試の結果を見ても、本番で下手したら英語と同じくらい悪くなる。でも頑張って暗記すればしっかり点を取れるなと思えたから、いまはこれを勉強した方がいいだろうと。それに地理は嫌じゃなかった。これは覚えたほうがいいだろうなとか、なるほどとか、勉強する意味や分かるようになる手ごたえがありました。

数学の証明問題なんて、もっと勉強すればできるようになるかもしれないけど、その時々でけっこう問題のパターン違うから、難しい問いまでやってらんないですよ。やっぱ伸びしろのある社会。そう決めてからは、勉強時間の6割が社会。3割が理科。国語はほぼやってない。英語もほぼやってない。他は数学の不安なところ、例えば文字式の問題とかです。まぁほぼ社会と理科でしたね、最後一か月前の勉強時間の内訳は。

そんなことで、受験直前は社会の勉強を一番に頑張れました。なぜ社会か、なぜこういう勉強方法になったのかって聞かれたら、そういう筋道を立てて勉強できた理由はやっぱり「受験で受かりたいな」って本当に思えたからですね。
                                                                                   

四、僕は●●くんにとってどんな人でしたか?

厳しい?優しい?頼りない?役に立つ家庭教師?ガチで語れるクラロワ仲間?思い浮かぶことを正直に書いてみてほしい。


そうです。自分の気持ちをそのまま話せて、役に立つ家庭教師で、ガチで語れるクラロワ仲間でした。



五、●●くんは成長したと思います。自分ではどう思う?たとえば、公立高校の前期入試が終わり合格発表を二日後に控えた最終指導日のことです。

合格への手ごたえを感じながらも「これで落ちてたら自分には難しかったんだと諦められます」と清々しかった。自分のしてきた努力にも本番で発揮できた力にも納得しているように見えた。「なんか今日はもう後期試験のための勉強はする気になれません」っていうもんだから、しょうがないなーって笑いながらペンを置き、ざっくばらんにお喋りをしましたね。

「何でおれは勉強が嫌いになったんだろう」って過去の自分を振り返りながら真摯に語ってくれました。その最後に「勉強が嫌いなやつの気持ちが今はわかります」と。そして昔の自分のように勉強が苦手な弟くんに今は数学を教えているのだと聞いて、あぁ成長したなって感慨深く思ったんだ。

気づいたこと、できるようになったこと、わかるようになったこと、いろいろあると思います。この二年間で、自分って成長したなぁと思うことについて教えてください。


勉強に対しての考え方や、頑張るようになったところが成長したと思います。

(記入済みアンケート用紙を手元に置きながらインタビューで)

千明「もうちょっと詳しく聞かせてよ」

●●「覚えてますよ、最後の指導日にした話。言われてみるとそんな話ができたのも成長したからですね。でも未だ文章でこうゆうことを書けないんですよね。口だと上手く言えても文章だと難しい。先生はよく書けるなーって凄いと思う。あと勉強とかゲームしてると書く時間なくなっちゃうし。あ、今は勉強してないか」

千明「ゲームかい」


六、僕らはたくさんの本と記事をシェアしたね。

その中で一番面白かった記事は何ですか。

 

マッチ売りの少女。

あぁこういう視点もあるんだなって面白かった。普通じゃない見方だなって。最初のころ渡された記事だから余計に印象深かったです。先生が書いた記事だったんですね。

http://honshare.blogspot.jp/2015/12/blog-post_16.html


また一番面白かった本はどれでしたか。


もちろん『嫌われる勇気』。


七、本や記事をシェアする勉強法ってどうだった?


国語、急に伸びましたからね。国語の勉強をしっかりやってたわけじゃないのに、急になんか、文章の抜き出し問題ができるようになってた。不思議な伸び方しましたね。なんでわかるようになったのか、自分でも国語だけは未だに謎なんですよ。抜き出しなさいの問題が全部解けなかったんだもん。抜き出し問題なんて簡単な方なのに。質問の意味がわからなかった、というか、もう全部わかんなかったんですね。そんな状態からいつの間にかできるようになってて、ラッキー、国語ラッキーって思ってます。

勉強がすごく嫌いだったけど、本を読むのは嫌いじゃなかったし、あまり勉強してる感じがしなくてやりやすかったです。以前は、例えば皮肉とか、裏に違う意味があるような、なんか含みのあるような、そういう言葉の意味がぜんぜん読めていなかった。前よりも文章が理解できるようになって、国語力って大切だなって凄く思うようになりました。他の教科の勉強も国語力が基礎なんだなって気づいたし。『嫌われる勇気』みたいな、面白いなって感じられる良い文章にたくさん触れてよかったです。



八、僕と君が一番シェアした本は千葉県公立高校入試の過去問です。学習指導を始めたばかりのころに「誕生日プレゼントだよ」って冗談交じりにあげたの、覚えていますか。二年生の夏というかなり早い時期から君の机の上にはずっとあって、その頃から地道に一緒に取り組んできましたね。

入試の過去問に日常的に向き合い続ける、という勉強法はどうでしたか?


やっぱり中学の勉強のゴールは高校受験だと思うので、必要なことを勉強していると思えて意欲的に学習できました。

過去問をやるって、つまり入試のための勉強だから。やっぱ自分にとって必要なことをやっている実感があるとやる気が違いますね。あと先生に過去問をもらったばかりの頃、まだ習ってないやつができた!って嬉しくなりました。 

 

十、勉強魔人覚えてる?あのイラストの続きを描いてください

2015年8月

2017年3月

最後に

●●君と僕は家庭教師と生徒として出会いました。手元の指導カルテには、お父さんお母さんと君自身が家庭教師に期待することが書いてあります。

テストで平均点をとれるようにしたい。

第一志望は八千代東高校。

この期待に応えることができたことが嬉しい。そして、君が君自身の期待に応えることができたことを本当に喜ばしく思っています。

これまで学校の定期テストや高校進学のための受験勉強をサポートしてきたけれども、それは何のためかといえば、人間として賢く逞しく生きるために必要な知性と心のあり方を身につけてほしいと願っていたからです。

これからもよく学んで自立した人になってください。●●君とのご縁を全うできて良かったです。ありがとう。

千明 公司




2017年3月18日土曜日

【家庭教師アンケート】息子の高校受験を終えたお母さんの回答

●●さんへ

高校合格おめでとうございます。合格発表の当日、お母さんからLINEでご一報を頂いたときはとても嬉しくて職場の休憩室でガッツポーズしました。本当によかったですね。

家庭教師として●●君を教えたのは彼が中学二年生の五月からでした。19カ月のあいだ一緒に勉強したことになります。決して短くはない期間、毎週ご自宅へ上がらせてもらって仕事をさせて頂きました。これまでの厚い信頼と無数のお心遣いにあらためて感謝申し上げます。

今は公立高校の後期試験も終わり、中学校の卒業式を間近に控えていらっしゃいますね。親として子の将来のための学生生活を支える。そこには様々な想いがあったことと思います。そのあたりをお二人に質問させて下さい。●●さんの家庭教育にご縁のあった教育者として、その声を大切に受け取り、今後の教育活動に生かしたいと思っています。


一、第一志望校の合格の知らせを聞いた。そのときの気持ちを教えてください。

うれしかったです。私立の学費とくらべて金銭的にも安心しましたが…
とにかく、息子の頑張りが報われてよかった。すごく清々しい表情をしていたので、努力することはムダにはならないと本人も感じてくれたのだと思いました。


二、その日、ご夫婦でどのような会話をされましたか。

息子は勉強が嫌いだから遠くの高校では通うのもきっと嫌になってしまうので、近所の学校に決まって良かったという事。高校に入ってから自分のやりたいことが見つかればいいという事。あとは、千明先生があきらめずに頑張ってくれたという話をしました。


三、家庭教師に任せようと決めた。当時はどのような状況で、どんな想いを抱えていらっしゃいましたか?

息子はADHDであると診断されています。集団授業では集中できず、塾では学校の授業と同じでうまくいかないと思いました。家庭教師は息子のレベルに合わせて一対一で授業をしてくれるので本人のためになるだろうと。先生との相性も不安でしたが、合わなければ変えてもらえるというシステムだったので信頼しました(当時は家庭教師センターを利用)。息子は本当にめんどくさがりで塾に行く時間をムダだと思ってしまうから、自宅に来てもらえる家庭教師に決めました。


四、わが子に勉強してほしい。高校へ進学してほしい。そのお考えには、どのような願いが込められているのでしょうか。

大学に進むにも専門学校に進むにも高校に行くのは当たり前であって、就職するにしても中卒では選択肢が少なくなってしまう。あとで後悔しても高校生になることはできないので、とりあえず高校に行って自分の可能性と見える世界を広げ、何か夢中になれるものを見つけてほしいと思ったからです。また高校受験という経験を通じて、頑張って勉強して何か一つのことを成功させた、という自信をつけてほしかったからです。  


五、最後のご挨拶に伺った日、お母さんは恐縮しながら「先生に本当に任せっきりで」とおっしゃっていましたね。僕はいつも、お二人から信頼して任せてもらっているのだと、有り難く感じていました。
僕を家庭教師として信頼できると感じて下さったのはなぜですか。

前は大学生の家庭教師で、開始時間ぴったりに来て終了時間ぴったりに帰り、 やる気があまり感じられなかった。指導当日になってからの急な予定変更も度々ありました。千明先生は息子の集中力によっては指導時間を前後したりと、一番に息子のことを考えて授業をしてくれていた。何回か授業をしているのを見て、息子もすごくやる気が出ているし「先生の授業はわかりやすいし楽しい」と言っていたので信頼できました。



ご回答ありがとうございました。 


最後に。

家庭教師の仲介センターから引き継いだときに手渡された指導カルテが手元にあります。保護者からの期待として次のことが述べられていました。

「先生はできれば男性で、礼儀と常識のある人」
「学校のテストで平均点がとれるようになる」
「第一志望は八千代東高校」

当初の願いと頂いた信頼に応えることができたのであれば、それは皆で力を合わせた賜物であり、僕としては本当に喜ばしい限りです。●●さんとご縁があってよかったです。
ありがとうございました。


2016年8月1日月曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」5

公司  今回読み返して改めて思った。やっぱりこのエッセイは、所々オブラートに包んではいるけど、相当に手厳しいね。

  例えばどこ?

公司  特に後半のここから。

外国に行くとよくわかることだけれど、ろくに言葉が通じなくても気の合う人間とはちゃんと気が合うし、どれだけ言葉が通じても気の合わない人間とはやはり気が合わない。P155

ゆき  そりゃそうだ。

これはもう自明のことなのだが、今の日本の圧倒的な英会話フィーバーの渦中では意外に忘れられているような気がする。

会話にはもちろん技術が必要だけれど、まず自分という人間の手応えというか存在感がなければ、それはただの構文と単語の丸暗記に終わってしまう。そしてそういう会話力はどれだけ意味が通じてもそれより先にはまず進まないし、そういうタイプの広がりのない会話力を僕は全然好まない。P155-156

公司  外国語で話せるかうんぬんの前に、わたしの会話には自分という人間の手応えがあるのだろうか。それってかなり本質的な問いかけじゃない?

ゆき うん結構言うね。

公司  それはその通りだもの。

ゆき  そうだね。

公司  でもそんなこと言ったら、「自分という人間の手応え」がないままに数学を学ぶ、理科を学ぶ、歴史を学ぶ、政治経済を学ぶ…。ほとんどの勉強に言えちゃうんだけどね。

ゆき  あぁそうか。

公司  自分の「手応え」を持って臨めば、外国語は流暢でなくてもコミュニケーションは充実する。同じように学びも仕事も、自分の文脈に絡めて、必然として体得出来るんだろうね。

ゆき  なんか上手くまとまった気がする。

公司  そう?笑

ゆき  うん。


公司  「英語は重要だ」という人は今も昔も大勢いるけど、そんな人達とぜひシェアしてみたくなるエッセイだね。

ゆき  うん、皆がどんな感想をもつのか私もすごく興味深い。実際に公司さんは家庭教師先でシェアしたんだよね。

公司  そう去年の夏、ゆきに『CAN YOU SPEAK ENGLISH?』を教えてもらった翌週に。英語が苦手な中学生の男子と彼のお母さんとね。

「外国語を覚えるには、人それぞれの環境的な必要性や自発的な好奇心が大事です。それなくして英語の習得を一方的に子供に課すのは、そもそも不自然な学び方であって、イケてないのかもしれません」

「実は英語が嫌いなのではなく、学校の管理的な勉強スタイルが自分の性に合っていないだけだったりして。だからあんまり気にしなくても大丈夫ですよ」

「ちなみに日本を代表する小説家で翻訳家でもある村上春樹さんはそんなことを言ってたんですね。この本で。僕もそう思います」

みたいな感じで紹介した。

ゆき  へぇー!反応は?

公司  言われてみればそうだよね!ってお母さんは合点がいった様子。何よりも本人の焦りや不安が少し軽くなってくれてよかったよ。

ゆき  それはよかったね。

公司  あれから一年経って、今も苦手なのは変わらないけど、その頃よりずっと前向きに勉強できてる。ゆきのおかげだよ。

ゆき  えへ。さすがわたし。

公司  うん!そしてさすが村上春樹さん。

ゆき  だね笑


< おわり >

2016年6月15日水曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」4

ゆき  このエッセイで公司さんが印象的だったのはどこなの?

公司  第一印象はここ。


何度も言うようだけれど、才能とあるいは必要があれば、子供英会話教室に通わなくたって英会話は人生のどこかの段階でちゃんとできるようになる。P154


ゆき  帰国子女ってそういうことだよね。外国に住めば話す必要に迫られて英語ができるようになる。

公司  そうそう。外国に行かずして外国語を意味のある水準で身につけたいとき、単語や文法を覚える努力よりも、身も蓋もないけど、才能がありますかってこと。でも、それよりもっと重要なことは、才能やセンスがいまいちでもいいから、日常生活や人生観のレベルで、その言語を体得する『自分なりの必要性』を実感する機会に身を投じてるのかどうか。才能ないくせに必要に迫られる環境もないままお勉強しても実らないよって、超正論だよね。そして、この指摘のあとに続く言葉が本当に刺さる。


大事なことはまず自分という人間がどういうものに興味があるのかを見定めることだろう。日本語の真の会話がそこから始まるのと同じように、英語の会話だってそこから始まる。P154


ゆき  中身がないとダメってこと。

公司  そう。このエッセイの本旨は、外国語をしゃべれるようになるよりも、人間として中身があることを自分のスタイルで語れるようにならないとねってこと。

ゆき  こうゆうの読んだら皆どう思うのかな。幼稚園でも学校でも習い事でも、子供に英語を学ばせる人は沢山いるじゃない?グサリとささるのかな。

公司  おれもそれ気になるよ。

ゆき  気になるよね。正直、反論のしようはあんまりないと思うんだけれど。

ゆき  ......話が少し逸れちゃうかもしれないけど、じゃあそうすると、英語に興味が持てなかったり必要性がなかったりしたら、ホントに英語やらなくていいんですか。そこはどうでしょうか?

公司  おお、いい質問だねー。

ゆき  子供の教育のこと考えたらそうじゃん。そんなこと言われても、どうしたら良いのかって悩む。できないよりかできた方がいいのは間違いないでしょ。

公司  うんそうだ。

ゆき  だったら、できた方がいいんだから、小さい頃から習い事として英語をやってきた子たちに差をつけられちゃうのは、残念な気がしちゃう。勿体無いというか。

公司  うん。

ゆき  私自身が英語できたことで、有利でもあったから。実感として、やっぱり英語はできた方がいいなーって思っちゃう。

公司   学生生活を楽しく過ごすって意味でもそうだね。小中高大の一般的な十数年間の学生生活を思い浮かべると、英語の学習時間って相当多いから、そのあいだずっとチンプンカンプンじゃキツい。主要教科なのに苦手意識を引きずりながら、周りに遅れないように必死で後手後手に勉強しつづけるのって、かなり辛そう。

ゆき  うん。

公司  しかも学校のように比較と順位付けに頻繁に晒されると、不得意な人は劣等感に苛まれるし、やる気もくじかれる。英語が得意なことは、進学や就職に有利なのはもちろんだけど、単純に学校生活の充実感や楽しさに大きくプラスに働いてくるよね。

ゆき  うんうん。

公司  だからできた方がいいのは同感だよ。何かを学ぶべき場所のなかで、それを良く学べている人の立場が強くなるのは自然なことで。

ゆき  うん。

公司   こういう鋭い記事を読んで真剣に考えた上で、「それでも幼児からの英語教育を私はさせたいと思う」と選択するのなら、多分それはそれで良いことだと思う。英語は学業と就職に有利だから得意になってほしいと、漠然としたイメージのまま我が子にやらせてしまうのとは、ぜんぜん意味が違ってくるはず。

ゆき  そうだね。たしかに村上春樹の言うように、幼少期の英会話教室で身につけた英語力をもって、実際のコミュニケーションにおいてどれほど役に立つのか、どのくらい意味のある会話ができるのか、という疑問は残るとしてもね。

<つづく>




2016年6月4日土曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」3

公司  この記事のどの辺がよかったと思う?

ゆき  ん…まぁなるほどなって思うのは、日本語できちんと話せない人が英語をいくら学んでもうまくは話せないってことかな。言われてみれば当然だよね。


会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151


ゆき  あと、世の中の人は英会話を後天的に身につけられる技術のように考えてるけど、それは違うよっていう指摘。やっぱり才能やセンスが必要だし、それがないんだったら、日常的に必要性がないとなかなか上達しないよね。

公司  うんうん。


世の中の多くの人は外国語会話というのを後天的に身につけることのできる純粋な技術として捉えて考えているように見える。それなりのルールを覚え、しかるべき単語を上手に暗記し、発音を矯正し、場数を踏めば誰でも英会話に堪能になれるのだという風に。
 だからこそあれだけ巷に英会話教室が溢れ 、書店にはテープやら本やら山積みになりながら、きちんとした英会話能力を身につけた人があまり見当たらないという事態が生じるのだ。僕は断言してもいいけれど、その辺の町の英会話教室で英会話を身につけるのはまず無理である。P151


ゆき  英語の才能も必要性もないのなら、相当なやる気がないとね。

公司  うん。

ゆき  だって面白くないじゃん。普通にやってる学校の勉強だけじゃ...。面白いと思えないと全然上達しないし。村上春樹みたいに海外の小説を原語で読みたい!って興味や情熱から英語習得に入っていくのが、やっぱり自然な流れだと思う。*1 動機として凄くわかりやすいよね。それなら上達するよ。

公司  そうだろうね。




公司  このエッセイの話さ、そういえば『村上ラヂオ3』にも書いてあったよ。

今朝ちょうど読んだところでね。村上春樹はポール・セローという小説家の旅行記が好きで、それは波乱万丈な旅の体験記でとても面白いらしいんだけど、そのなかのワンシーンを紹介しながら「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」の意見と同じことを言ってるんだよ。

ゆき  あったね。

公司  待ってて、いま探す。…この、「死ぬほど退屈な会話」ってタイトル。ちょっと読むね。


ポールは東アフリカのある国を旅していた。実に殺伐とした地域で、娯楽もなく見どころもなく、街には英語をしゃべる人間が一人も見つからなかった。暇と持て余してうんざりしているときに、一人の日本人に巡り合った。日本の企業から単身派遣されている技術者で、かなりうまく英語を話す。ポールはうれしくなって会話を始めるのだが、相手がとんでもなく退屈な人間であることにすぐに気づく。話が紋切り型というか、ちっとも深みがないのだ。そして、これなら一人で壁でも眺めていたほうがまだマシだったと思う。P54
なんかその情景が目に浮かんできますね。退屈な会話というのは時として拷問に近い。P55


ゆき  どんだけ退屈なんですか(苦笑

公司  この本の出版は2012年でしょ。あぁ村上春樹は『はいほー(1989年)』の頃から、もう長年ずーっと同じことを思ってきたんだなぁ。

ゆき  たしかに、ペラペラ話せても中身が薄っぺらいんじゃダメだよね。よい会話と言葉の流暢さとはあまり関係がない。

ゆき  わたしもちょっと読むー、貸して。


英語は今では、英米人のための言語というよりは、リンガ・フランカ(世界共通語)としての機能のほうがむしろ大きいので、極端に言えば「意味が通じればそれでいい」ということになる。となれば、そこで大事なのは「流ちょうに話す」ことよりは「相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか」ということになる。つまりどんなにすらすら英語が話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。僕の英語は流ちょうではないけれど、手持ちの意見だけは何しろたくさん、(文字通り)売るくらいあるので、相手はそれなりに耳を傾けてくれるみたいだ。

英語を「社用語」にしようという日本企業も出てきたみたいで、まあそれも大事なんだろうけど、同時に「自分の意見」を持てる人を育成することがもっと大切じゃないかと、僕なんかは思います。そのへんをきちんとしないと、また世界のどこかでセローさんのような気の毒な犠牲者が生まれることになる。P57


ゆき  ――相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか。

公司  うん。

ゆき  ――すらすら話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。

公司  うん。

ゆき  たしかにねぇ。

公司  英語を学ぼうと躍起になってるのは日本だけじゃないから、そういう人は世界中で増えてるよ。

ゆき  そうだね。

公司  村上春樹みたいに、公私で長期にわたって、世界各国に旅行したり滞在したり招かれたりしていると、多分いろんな場面で、流暢な英会話を頑張って身につけてきた人たちと遭遇するんだろうね。

それだけに、充実した会話ができないままスラスラと得意げに話せようになってもねぇ…と、残念な違和感を感じる機会が沢山あったんだろうな。

ゆき  うん。実際に海外生活が長い人が言うと、説得力があるね。内容に中身がある人だから本当に。


<つづく>



*1:『職業としての小説家』P195より
僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語が得意だったわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳されていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバックを一山いくらで買ってきて、意味がわかってもわからなくても、片端からがりがり乱暴に読んでいきました。最初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗なく横文字の本が読めるようになりました。当時の神戸には外国人が多く住んでいたし、大きな港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人たちが、まとめて売っていく洋書が古本屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリーとかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですが、ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムストカ、そんなややこしいものは高校生にはとても歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう読めるようになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上したかというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでした。

2016年5月26日木曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」2

公司  ねえ、そもそもなんで俺にこのエッセイを紹介してくれたんだっけ?

ゆき  いかにも好きそうだからだよ。

公司  いかにもか(笑)

ゆき  だって好きそうじゃん。

会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151


公司  いつもね、これ貴方が好きそうって勧めてくれる文章は見事に全部あってます。

ゆき  やらなきゃダメだからとか、やらないと置いてけぼりになっちゃうからとか、そういう表面的な説得は嫌いでしょう?

公司  うん。

ゆき  「とりあえずやっといた方がいい」的にやる教育は好きじゃないでしょう?習い事でもなんでも。

公司  そうだね。

ゆき  「コミュニケーションありきじゃないと」ってよく言ってるよね。子どもを見てても、言葉はやっぱり、誰かとコミュニケーションしたがってるうちに自然に覚えていくものなんだって言ってたじゃない?

公司  うん。日本人は日本語を普通に話せるようになるわけだけど、それってお勉強じゃない。親とコミュニケーションしたいからなんだろうなって。まめ子を見ててもそうだもの。

ゆき  うん。

公司  身近な人との関わり合いのなかで、心が通じあう必要性とか、通じあいたい欲求とか、通じあった喜びとか。もちろん通じあわない苛立ちや悲しみとかもあって。

ゆき  うんうん。

公司  そういう濃い人間関係の切実さや強い感情をくぐり抜けるうちに、言葉を覚えるべくして覚えちゃう。覚えたくなっちゃう。何かを伝えたかったり、分かりたかったりして、もっとよくコミュニケーションしたいっていう動機や体験が生まれてくる。その内側からのドライブがないままに、先回りした大人の理屈や期待に反応するように英語を頑張るのって、何か違うと思うんだよ。

ゆき  その通りだと思うよ。


僕の経験から言うと、外国語というのは必要に迫られればある程度は話せるようになる。逆に言えば、必要に迫られなければまずダメだ。これはとても単純な結論だけれど、厳然たる真実です。 
必要に迫られれば人間の体内には特殊な分泌液のようなものが溢れ出てきて、それが集中力をかき集めて語学の習得を可能にするのではないかと僕は想像しているのだが、その科学的な真偽は定かではない。しかし理屈はともあれ必要性というのが語学習得のための最も重要な要素であることは経験的に言ってまず間違いのないところである。P152


ゆき  うん、まぁでもね……できた方がいいかって聞かれれば、そりゃあそうだよねって思っちゃう。

公司  うん。

ゆき  できないよりかはできた方がいいと思う。

公司  そうね。

ゆき  でもその、公司さんが言ってるような「必然性」をつくるのは、普通に生きていると難しいのかなぁと思う。

公司  そうだよなぁ。

ゆき  よく芸能人なんかは、インターナショナルスクールに通わせたりしてるけどさ。

公司  あーそれテレビでやってた。ワイドショーだったかな。この有名な芸能人たちは子供をインターナショナル・プリスクールに通わせてますって。すごく高いらしい。

ゆき  多いよー。それはプライバシーを守るっていう意図もあるんだと思うけれど。

公司  へぇ。

ゆき  ほら、有名人の子は普通の学校に行くと目立っちゃうでしょ。

公司  なるほどね。

ゆき  でもやっぱり、英語はできておいた方がいいって考えが強いんじゃないかな。お金あるんだったらね。



<つづく>