2016年8月1日月曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」5

公司  今回読み返して改めて思った。やっぱりこのエッセイは、所々オブラートに包んではいるけど、相当に手厳しいね。

  例えばどこ?

公司  特に後半のここから。

外国に行くとよくわかることだけれど、ろくに言葉が通じなくても気の合う人間とはちゃんと気が合うし、どれだけ言葉が通じても気の合わない人間とはやはり気が合わない。P155

ゆき  そりゃそうだ。

これはもう自明のことなのだが、今の日本の圧倒的な英会話フィーバーの渦中では意外に忘れられているような気がする。

会話にはもちろん技術が必要だけれど、まず自分という人間の手応えというか存在感がなければ、それはただの構文と単語の丸暗記に終わってしまう。そしてそういう会話力はどれだけ意味が通じてもそれより先にはまず進まないし、そういうタイプの広がりのない会話力を僕は全然好まない。P155-156

公司  外国語で話せるかうんぬんの前に、わたしの会話には自分という人間の手応えがあるのだろうか。それってかなり本質的な問いかけじゃない?

ゆき うん結構言うね。

公司  それはその通りだもの。

ゆき  そうだね。

公司  でもそんなこと言ったら、「自分という人間の手応え」がないままに数学を学ぶ、理科を学ぶ、歴史を学ぶ、政治経済を学ぶ…。ほとんどの勉強に言えちゃうんだけどね。

ゆき  あぁそうか。

公司  自分の「手応え」を持って臨めば、外国語は流暢でなくてもコミュニケーションは充実する。同じように学びも仕事も、自分の文脈に絡めて、必然として体得出来るんだろうね。

ゆき  なんか上手くまとまった気がする。

公司  そう?笑

ゆき  うん。


公司  「英語は重要だ」という人は今も昔も大勢いるけど、そんな人達とぜひシェアしてみたくなるエッセイだね。

ゆき  うん、皆がどんな感想をもつのか私もすごく興味深い。実際に公司さんは家庭教師先でシェアしたんだよね。

公司  そう去年の夏、ゆきに『CAN YOU SPEAK ENGLISH?』を教えてもらった翌週に。英語が苦手な中学生の男子と彼のお母さんとね。

「外国語を覚えるには、人それぞれの環境的な必要性や自発的な好奇心が大事です。それなくして英語の習得を一方的に子供に課すのは、そもそも不自然な学び方であって、イケてないのかもしれません」

「実は英語が嫌いなのではなく、学校の管理的な勉強スタイルが自分の性に合っていないだけだったりして。だからあんまり気にしなくても大丈夫ですよ」

「ちなみに日本を代表する小説家で翻訳家でもある村上春樹さんはそんなことを言ってたんですね。この本で。僕もそう思います」

みたいな感じで紹介した。

ゆき  へぇー!反応は?

公司  言われてみればそうだよね!ってお母さんは合点がいった様子。何よりも本人の焦りや不安が少し軽くなってくれてよかったよ。

ゆき  それはよかったね。

公司  あれから一年経って、今も苦手なのは変わらないけど、その頃よりずっと前向きに勉強できてる。ゆきのおかげだよ。

ゆき  えへ。さすがわたし。

公司  うん!そしてさすが村上春樹さん。

ゆき  だね笑


< おわり >

2016年6月15日水曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」4

ゆき  このエッセイで公司さんが印象的だったのはどこなの?

公司  第一印象はここ。


何度も言うようだけれど、才能とあるいは必要があれば、子供英会話教室に通わなくたって英会話は人生のどこかの段階でちゃんとできるようになる。P154


ゆき  帰国子女ってそういうことだよね。外国に住めば話す必要に迫られて英語ができるようになる。

公司  そうそう。外国に行かずして外国語を意味のある水準で身につけたいとき、単語や文法を覚える努力よりも、身も蓋もないけど、才能がありますかってこと。でも、それよりもっと重要なことは、才能やセンスがいまいちでもいいから、日常生活や人生観のレベルで、その言語を体得する『自分なりの必要性』を実感する機会に身を投じてるのかどうか。才能ないくせに必要に迫られる環境もないままお勉強しても実らないよって、超正論だよね。そして、この指摘のあとに続く言葉が本当に刺さる。


大事なことはまず自分という人間がどういうものに興味があるのかを見定めることだろう。日本語の真の会話がそこから始まるのと同じように、英語の会話だってそこから始まる。P154


ゆき  中身がないとダメってこと。

公司  そう。このエッセイの本旨は、外国語をしゃべれるようになるよりも、人間として中身があることを自分のスタイルで語れるようにならないとねってこと。

ゆき  こうゆうの読んだら皆どう思うのかな。幼稚園でも学校でも習い事でも、子供に英語を学ばせる人は沢山いるじゃない?グサリとささるのかな。

公司  おれもそれ気になるよ。

ゆき  気になるよね。正直、反論のしようはあんまりないと思うんだけれど。

ゆき  ......話が少し逸れちゃうかもしれないけど、じゃあそうすると、英語に興味が持てなかったり必要性がなかったりしたら、ホントに英語やらなくていいんですか。そこはどうでしょうか?

公司  おお、いい質問だねー。

ゆき  子供の教育のこと考えたらそうじゃん。そんなこと言われても、どうしたら良いのかって悩む。できないよりかできた方がいいのは間違いないでしょ。

公司  うんそうだ。

ゆき  だったら、できた方がいいんだから、小さい頃から習い事として英語をやってきた子たちに差をつけられちゃうのは、残念な気がしちゃう。勿体無いというか。

公司  うん。

ゆき  私自身が英語できたことで、有利でもあったから。実感として、やっぱり英語はできた方がいいなーって思っちゃう。

公司   学生生活を楽しく過ごすって意味でもそうだね。小中高大の一般的な十数年間の学生生活を思い浮かべると、英語の学習時間って相当多いから、そのあいだずっとチンプンカンプンじゃキツい。主要教科なのに苦手意識を引きずりながら、周りに遅れないように必死で後手後手に勉強しつづけるのって、かなり辛そう。

ゆき  うん。

公司  しかも学校のように比較と順位付けに頻繁に晒されると、不得意な人は劣等感に苛まれるし、やる気もくじかれる。英語が得意なことは、進学や就職に有利なのはもちろんだけど、単純に学校生活の充実感や楽しさに大きくプラスに働いてくるよね。

ゆき  うんうん。

公司  だからできた方がいいのは同感だよ。何かを学ぶべき場所のなかで、それを良く学べている人の立場が強くなるのは自然なことで。

ゆき  うん。

公司   こういう鋭い記事を読んで真剣に考えた上で、「それでも幼児からの英語教育を私はさせたいと思う」と選択するのなら、多分それはそれで良いことだと思う。英語は学業と就職に有利だから得意になってほしいと、漠然としたイメージのまま我が子にやらせてしまうのとは、ぜんぜん意味が違ってくるはず。

ゆき  そうだね。たしかに村上春樹の言うように、幼少期の英会話教室で身につけた英語力をもって、実際のコミュニケーションにおいてどれほど役に立つのか、どのくらい意味のある会話ができるのか、という疑問は残るとしてもね。

<つづく>




2016年6月4日土曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」3

公司  この記事のどの辺がよかったと思う?

ゆき  ん…まぁなるほどなって思うのは、日本語できちんと話せない人が英語をいくら学んでもうまくは話せないってことかな。言われてみれば当然だよね。


会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151


ゆき  あと、世の中の人は英会話を後天的に身につけられる技術のように考えてるけど、それは違うよっていう指摘。やっぱり才能やセンスが必要だし、それがないんだったら、日常的に必要性がないとなかなか上達しないよね。

公司  うんうん。


世の中の多くの人は外国語会話というのを後天的に身につけることのできる純粋な技術として捉えて考えているように見える。それなりのルールを覚え、しかるべき単語を上手に暗記し、発音を矯正し、場数を踏めば誰でも英会話に堪能になれるのだという風に。
 だからこそあれだけ巷に英会話教室が溢れ 、書店にはテープやら本やら山積みになりながら、きちんとした英会話能力を身につけた人があまり見当たらないという事態が生じるのだ。僕は断言してもいいけれど、その辺の町の英会話教室で英会話を身につけるのはまず無理である。P151


ゆき  英語の才能も必要性もないのなら、相当なやる気がないとね。

公司  うん。

ゆき  だって面白くないじゃん。普通にやってる学校の勉強だけじゃ...。面白いと思えないと全然上達しないし。村上春樹みたいに海外の小説を原語で読みたい!って興味や情熱から英語習得に入っていくのが、やっぱり自然な流れだと思う。*1 動機として凄くわかりやすいよね。それなら上達するよ。

公司  そうだろうね。




公司  このエッセイの話さ、そういえば『村上ラヂオ3』にも書いてあったよ。

今朝ちょうど読んだところでね。村上春樹はポール・セローという小説家の旅行記が好きで、それは波乱万丈な旅の体験記でとても面白いらしいんだけど、そのなかのワンシーンを紹介しながら「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」の意見と同じことを言ってるんだよ。

ゆき  あったね。

公司  待ってて、いま探す。…この、「死ぬほど退屈な会話」ってタイトル。ちょっと読むね。


ポールは東アフリカのある国を旅していた。実に殺伐とした地域で、娯楽もなく見どころもなく、街には英語をしゃべる人間が一人も見つからなかった。暇と持て余してうんざりしているときに、一人の日本人に巡り合った。日本の企業から単身派遣されている技術者で、かなりうまく英語を話す。ポールはうれしくなって会話を始めるのだが、相手がとんでもなく退屈な人間であることにすぐに気づく。話が紋切り型というか、ちっとも深みがないのだ。そして、これなら一人で壁でも眺めていたほうがまだマシだったと思う。P54
なんかその情景が目に浮かんできますね。退屈な会話というのは時として拷問に近い。P55


ゆき  どんだけ退屈なんですか(苦笑

公司  この本の出版は2012年でしょ。あぁ村上春樹は『はいほー(1989年)』の頃から、もう長年ずーっと同じことを思ってきたんだなぁ。

ゆき  たしかに、ペラペラ話せても中身が薄っぺらいんじゃダメだよね。よい会話と言葉の流暢さとはあまり関係がない。

ゆき  わたしもちょっと読むー、貸して。


英語は今では、英米人のための言語というよりは、リンガ・フランカ(世界共通語)としての機能のほうがむしろ大きいので、極端に言えば「意味が通じればそれでいい」ということになる。となれば、そこで大事なのは「流ちょうに話す」ことよりは「相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか」ということになる。つまりどんなにすらすら英語が話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。僕の英語は流ちょうではないけれど、手持ちの意見だけは何しろたくさん、(文字通り)売るくらいあるので、相手はそれなりに耳を傾けてくれるみたいだ。

英語を「社用語」にしようという日本企業も出てきたみたいで、まあそれも大事なんだろうけど、同時に「自分の意見」を持てる人を育成することがもっと大切じゃないかと、僕なんかは思います。そのへんをきちんとしないと、また世界のどこかでセローさんのような気の毒な犠牲者が生まれることになる。P57


ゆき  ――相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか。

公司  うん。

ゆき  ――すらすら話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。

公司  うん。

ゆき  たしかにねぇ。

公司  英語を学ぼうと躍起になってるのは日本だけじゃないから、そういう人は世界中で増えてるよ。

ゆき  そうだね。

公司  村上春樹みたいに、公私で長期にわたって、世界各国に旅行したり滞在したり招かれたりしていると、多分いろんな場面で、流暢な英会話を頑張って身につけてきた人たちと遭遇するんだろうね。

それだけに、充実した会話ができないままスラスラと得意げに話せようになってもねぇ…と、残念な違和感を感じる機会が沢山あったんだろうな。

ゆき  うん。実際に海外生活が長い人が言うと、説得力があるね。内容に中身がある人だから本当に。


<つづく>



*1:『職業としての小説家』P195より
僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語が得意だったわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳されていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバックを一山いくらで買ってきて、意味がわかってもわからなくても、片端からがりがり乱暴に読んでいきました。最初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗なく横文字の本が読めるようになりました。当時の神戸には外国人が多く住んでいたし、大きな港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人たちが、まとめて売っていく洋書が古本屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリーとかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですが、ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムストカ、そんなややこしいものは高校生にはとても歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう読めるようになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上したかというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでした。

2016年5月26日木曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」2

公司  ねえ、そもそもなんで俺にこのエッセイを紹介してくれたんだっけ?

ゆき  いかにも好きそうだからだよ。

公司  いかにもか(笑)

ゆき  だって好きそうじゃん。

会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151


公司  いつもね、これ貴方が好きそうって勧めてくれる文章は見事に全部あってます。

ゆき  やらなきゃダメだからとか、やらないと置いてけぼりになっちゃうからとか、そういう表面的な説得は嫌いでしょう?

公司  うん。

ゆき  「とりあえずやっといた方がいい」的にやる教育は好きじゃないでしょう?習い事でもなんでも。

公司  そうだね。

ゆき  「コミュニケーションありきじゃないと」ってよく言ってるよね。子どもを見てても、言葉はやっぱり、誰かとコミュニケーションしたがってるうちに自然に覚えていくものなんだって言ってたじゃない?

公司  うん。日本人は日本語を普通に話せるようになるわけだけど、それってお勉強じゃない。親とコミュニケーションしたいからなんだろうなって。まめ子を見ててもそうだもの。

ゆき  うん。

公司  身近な人との関わり合いのなかで、心が通じあう必要性とか、通じあいたい欲求とか、通じあった喜びとか。もちろん通じあわない苛立ちや悲しみとかもあって。

ゆき  うんうん。

公司  そういう濃い人間関係の切実さや強い感情をくぐり抜けるうちに、言葉を覚えるべくして覚えちゃう。覚えたくなっちゃう。何かを伝えたかったり、分かりたかったりして、もっとよくコミュニケーションしたいっていう動機や体験が生まれてくる。その内側からのドライブがないままに、先回りした大人の理屈や期待に反応するように英語を頑張るのって、何か違うと思うんだよ。

ゆき  その通りだと思うよ。


僕の経験から言うと、外国語というのは必要に迫られればある程度は話せるようになる。逆に言えば、必要に迫られなければまずダメだ。これはとても単純な結論だけれど、厳然たる真実です。 
必要に迫られれば人間の体内には特殊な分泌液のようなものが溢れ出てきて、それが集中力をかき集めて語学の習得を可能にするのではないかと僕は想像しているのだが、その科学的な真偽は定かではない。しかし理屈はともあれ必要性というのが語学習得のための最も重要な要素であることは経験的に言ってまず間違いのないところである。P152


ゆき  うん、まぁでもね……できた方がいいかって聞かれれば、そりゃあそうだよねって思っちゃう。

公司  うん。

ゆき  できないよりかはできた方がいいと思う。

公司  そうね。

ゆき  でもその、公司さんが言ってるような「必然性」をつくるのは、普通に生きていると難しいのかなぁと思う。

公司  そうだよなぁ。

ゆき  よく芸能人なんかは、インターナショナルスクールに通わせたりしてるけどさ。

公司  あーそれテレビでやってた。ワイドショーだったかな。この有名な芸能人たちは子供をインターナショナル・プリスクールに通わせてますって。すごく高いらしい。

ゆき  多いよー。それはプライバシーを守るっていう意図もあるんだと思うけれど。

公司  へぇ。

ゆき  ほら、有名人の子は普通の学校に行くと目立っちゃうでしょ。

公司  なるほどね。

ゆき  でもやっぱり、英語はできておいた方がいいって考えが強いんじゃないかな。お金あるんだったらね。



<つづく>


2016年5月22日日曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」

こんにちは、千明です。

夫婦でよく本をシェアしています。そのなかで盛り上がったものについてあれこれと対話してみます。第一回は村上春樹さんのこのエッセイ。

『村上朝日堂 はいほー!』1989/5  文化出版局 

「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」P150-157

アメリカ文学の翻訳家でもある村上春樹さんが昨今の英会話習得ブームに対する違和感を率直に語ってみた、という実際的な内容です。書かれたのはバブル期なわけですが、その指摘は今日の私たちにも痛烈に刺さります。今なお英語習得のニーズは高まっているなかで、当時の村上さんの問題意識も説得力を増し続けている気がします。夫婦で注目したのはまずそこでした。

妻いわく、これだけ強い調子で意見を言う村上さんのエッセイは珍しいそうです。

では始めます。


ゆき  これっていつ書かれたんだっけ。

公司  1989年5月。えーと何歳?

ゆき  二歳。30年近く前なんだ。

公司  あぁ俺は四歳だ。

ゆき  これ書かれたときの、時代背景というか社会状況は、今と違うんだろうなーとは思うの。その頃に比べれば英会話の必要性は上がっているんじゃないかな。英語習いたがってる人は実際に増えてるし。わたし大学の仕事してるけど、グローバルグローバルって、職場ではよく聞こえてくるし。

ゆき  だってねぇ、、お義姉さんのとこの甥っ子くんも英会話やってるし。2歳か3歳から英語始めるといいですよっていう広告もよく入ってくるしね。

公司  そういえば、しまじろう*1もオプションで英語教材を勧めてきたよね。

ゆき  ディズニー英語システムもあるよ。前に無料サンプルのDVDをもらったきりだけど。

ゆき  なんか、やんなきゃダメ感っていうのかな。英語やらないと置いてけぼりになるよ感が、一昔前より強くなってる気がする。私もたまに、やらせたほうがいいのかなぁと思っちゃうもん。今から英語やっておくと違うのかなあって思っちゃったりもした。それでも、冷静に考えればやっぱり、このエッセイに書いてあることが本質的だと思うし、、、


子供の頃の語学学習が一番必要なんだと言われればそれまでだけれど、普通の6歳の子供がどうしてバイリンガルにならなくちゃいけないのか僕には全然理解できない。日本語もちゃんとできない子供が表層的にちょこっとバイリンガルができてそこに一体何の意味があるのだろう? 
何度も言うようだけれど、才能とあるいは必要があれば、子供英会話教室に通わなくたって英会話は人生のどこかの段階でちゃんとできるようになる。大事なことはまず自分という人間がどういうものに興味があるのかを見定めることだろう。日本語の真の会話がそこから始まるのと同じように、英語の会話だってそこから始まる。P154

公司  まめ子(娘の仮名)が通ってるわかば幼稚園も、ネイティブの先生が来て教えますよっていうのをちょっと売りにしてたよね。

ゆき  今は保育園でも取り組むところがあるみたい。幼児教育でも小学校でも、より低年齢から英語を学ばせようっていう傾向は、この本が書かれた頃よりも加速しているんだろうな。ましてこれから2020年にオリンピックでしょう。だから余計にそういうのは強くなるんじゃないかなぁ。

公司  うんうん。

ゆき  じゃあこのエッセイって、時代背景が変わっているから説得力がなくなってるのかっていう見方も、あるいはできるのかもしれないけれど、、、

ゆき  村上春樹も去年『村上さんのところ』*2 で、日本人だけが全然英語できないで置いてけぼりになるのは良くない的なことを言ってた気がする。



<つづく>


*1:娘がやっているベネッセの学習教材「こどもチャレンジ」のキャラクター


*2:該当著書P19の要約
高校の英語教師「将来英語使わないから英語なんて勉強する必要ないじゃん、と言われることが度々あり返答に困ることがあります。英語が堪能な村上さんならこういう生徒にどういうアドバイスをしてあげますか。」 ▼村上「イタリアとかフランスとか、昔は英語がほとんど通じなかったんだけど、今はずいぶん通じるようになりました。世界はどんどん変わっています。日本だけが取り残されていくみたいな印象があります。もちろん英語ができりゃえらいってわけじゃないんですが、文化的に内向きになってしまうっていうのはまずいですよね。」




2016年5月6日金曜日

プロフィール

千明 公司



1984年10月1日生まれ。

2003年に市立千葉高校、2008年に早稲田大学 政治経済学部 国際政治経済学科を卒業。同年4月みずほ証券に入社し、神戸支店・金沢支店で金融資産の運用コンサルタントを経て、本社デリバティブ業務室を担当。2012年末に転職し、ナチュラル・ハーモニーという自然食品商社の卸事業部で3年強のあいだ勤務。

2015年春より生まれ育った千葉に戻り、自分の住む街に根をおろすライフスタイルにシフトしました。

現在は妻子と三人で千葉県佐倉市西志津に住んでいます。志津図書館のすぐ近所です。【本シェアーズ】という屋号で、教育や子育て分野の個人事業を開業しました。家庭教師として中学三年生の学習指導をしながら、上志津にある介護施設で非常勤職員として働いています。

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過去ブログ『社会を担う者として