2016年5月26日木曜日

夫婦で語る 村上春樹エッセイ「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」2

公司  ねえ、そもそもなんで俺にこのエッセイを紹介してくれたんだっけ?

ゆき  いかにも好きそうだからだよ。

公司  いかにもか(笑)

ゆき  だって好きそうじゃん。

会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151


公司  いつもね、これ貴方が好きそうって勧めてくれる文章は見事に全部あってます。

ゆき  やらなきゃダメだからとか、やらないと置いてけぼりになっちゃうからとか、そういう表面的な説得は嫌いでしょう?

公司  うん。

ゆき  「とりあえずやっといた方がいい」的にやる教育は好きじゃないでしょう?習い事でもなんでも。

公司  そうだね。

ゆき  「コミュニケーションありきじゃないと」ってよく言ってるよね。子どもを見てても、言葉はやっぱり、誰かとコミュニケーションしたがってるうちに自然に覚えていくものなんだって言ってたじゃない?

公司  うん。日本人は日本語を普通に話せるようになるわけだけど、それってお勉強じゃない。親とコミュニケーションしたいからなんだろうなって。まめ子を見ててもそうだもの。

ゆき  うん。

公司  身近な人との関わり合いのなかで、心が通じあう必要性とか、通じあいたい欲求とか、通じあった喜びとか。もちろん通じあわない苛立ちや悲しみとかもあって。

ゆき  うんうん。

公司  そういう濃い人間関係の切実さや強い感情をくぐり抜けるうちに、言葉を覚えるべくして覚えちゃう。覚えたくなっちゃう。何かを伝えたかったり、分かりたかったりして、もっとよくコミュニケーションしたいっていう動機や体験が生まれてくる。その内側からのドライブがないままに、先回りした大人の理屈や期待に反応するように英語を頑張るのって、何か違うと思うんだよ。

ゆき  その通りだと思うよ。


僕の経験から言うと、外国語というのは必要に迫られればある程度は話せるようになる。逆に言えば、必要に迫られなければまずダメだ。これはとても単純な結論だけれど、厳然たる真実です。 
必要に迫られれば人間の体内には特殊な分泌液のようなものが溢れ出てきて、それが集中力をかき集めて語学の習得を可能にするのではないかと僕は想像しているのだが、その科学的な真偽は定かではない。しかし理屈はともあれ必要性というのが語学習得のための最も重要な要素であることは経験的に言ってまず間違いのないところである。P152


ゆき  うん、まぁでもね……できた方がいいかって聞かれれば、そりゃあそうだよねって思っちゃう。

公司  うん。

ゆき  できないよりかはできた方がいいと思う。

公司  そうね。

ゆき  でもその、公司さんが言ってるような「必然性」をつくるのは、普通に生きていると難しいのかなぁと思う。

公司  そうだよなぁ。

ゆき  よく芸能人なんかは、インターナショナルスクールに通わせたりしてるけどさ。

公司  あーそれテレビでやってた。ワイドショーだったかな。この有名な芸能人たちは子供をインターナショナル・プリスクールに通わせてますって。すごく高いらしい。

ゆき  多いよー。それはプライバシーを守るっていう意図もあるんだと思うけれど。

公司  へぇ。

ゆき  ほら、有名人の子は普通の学校に行くと目立っちゃうでしょ。

公司  なるほどね。

ゆき  でもやっぱり、英語はできておいた方がいいって考えが強いんじゃないかな。お金あるんだったらね。



<つづく>